「さよなら渓谷」、さよなら理解

アマゾンプライムで、「さよなら渓谷」を観ました。この監督が、新聞のコラムで相模原事件のことに触れて、「簡単に理解してはいけない、でも特別視してもいけない」と言っていました。多分、映画もその観点で作られたのでしょう。
事件があるとすぐ、なぜ、とか考えます。みんな最もらしいことを言います。でも、人の心理と行動は、そんな簡単に理解できるものではない、ということですね。と言うわけで「さよなら渓谷」を見てみました。
ほんとにわかりません。まず、主人公の女性のような過酷な被害に遭ったことがないのです。次に集団でレイプなどして、なにが楽しいのか、という男の気持ちがとても理解できません。女性にとって致命的な傷を負わされた相手への憎しみもわかりません。
でも、ふと思いました。従軍慰安婦の哀しみや苦しみを、男は理解できないでしょう、ということ。金で済まそうとすると、ますます悲しい。じゃあ、この映画の男のように人生かけて償うのか。でも、償っているようで、男は自分の罪から逃げているようでもあるし。
もう一つ、体育系の男が事件の中心になっているのが気になりました。いわゆるマッチョの性犯罪。これが嫌だった。だから対極に文科系の夫が暴力を振るう、という形なのかな。井浦新って、文科系代表、みたいだし。
キャストはみんなドンピシャでしたね。真木よう子の解らなさは、すごくよかった。自分が自分の世界で、わかったような気になる、というのがいちばん怖いのだ、と、しみじみ思う映画でした。この映画、解らないから見る価値ありです。